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2024年8月31日土曜日

8月31日の出来事

 土谷沢分校は、明治18年4月開校、昭和56年3月閉校になった土谷沢分校の姿がなくなりました。(解体費用約1306万円)。

 

当時の青倉村はまだ大桑原村、風口村、宮室村は含まれず、また下郷村は南牧村で、昭和31年に下仁田町に編入合併された。

明治期のこの頃の前身は、群馬県は所属が熊谷県に再変更される

明治6年下仁田学校下仁田龍栖寺に開校

明治6年馬山西学校石淵山田宅に開校

明治6年馬山東学校馬山栄命寺に開校

明治7年本宿学校本宿長楽寺に開校。

明治7年青倉学校青倉明照院に開校。

明治7年大平学校大平永寿寺に開校。

明治8年西牧南学校市野萱の民家で開校。

明治9年小坂学校下小坂常光寺に開校

上小坂学校広河原福泉寺に開校

所属が再び群馬県へと変わる

明治18年学区改正により、下仁田・吉崎・栗山・川井・青倉・風口・宮室 町6村で北甘楽郡第 11 小学校を設立。この時に土谷沢に第1分校を栗山に第2分校を置く。

私が通った分校は、青倉村から下仁田町に統合された翌年昭和31年入学で、その時は1年生から6年生まで100人近く人いました。

蛇足ですが、土谷沢区には集会所(町の補助金)は無く分校に赴任する先生用の教員住宅を村御用金で建てた。それをのちに昭和52年に町の補助金50万円をいただき改築し「公会堂」として今日まで使用しています。


なお、今日本県出身の参議院議員中曽根弘文氏が自由民主党総裁選の高市早苗氏の選対本部長になる報道がありました。自由民主党議員なら「党是」は、もちろん「自主憲法制定」、それに皇室継承(父系一系)、教育の充実。夫婦別姓には消極的など。岩盤保守で「高市早苗一択」だな








2024年8月30日金曜日

自民・稲田氏ら「女性活躍」を総裁選のテーマに 提言をとりまとめ

 どうせ求めるならなぜ男女比をイーブンになることを求めないのだろう?


私はクオーター制には賛成しません。今の法制度では男女平等なのでこれ以上恣意的に押し付けられたような人選、制度では無く、やはり男性社会に問題意識があるならそれをぶち破る意思のないものは所詮形だけのものになるでしょう。
政治には自らの意思は大事。学歴や職歴の能力というよりは「この国の民を、あるいは住民を幸せにしよう」という意志のある無しの問題。
だと思うが…生意気で済みません(汗)
(FBでは政治ネタは無視されやすですが、承知で書きました)