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2024年9月1日日曜日

関東大震災の日、防災の日

 関東大震災の日、防災の日

9月1日は、関東大震災の日、防災の日

大正12年9月1日、関東大震災から今年で101年。全ての犠牲者の御霊とご遺族の皆様に心よりお悔やみ申し上げます。死者、行方不明者は10万人を超え今なお日本の自然災害としては最大最悪な災害。

昨今の大きな災害に触れるにつけ、その甚大な被害を顧みれば、毎日大切な人と過ごせることへありがたさを痛感します。

地震列島日本では、何処にいても、どこに住んでも災害から逃れられる事は出来ないが、イザとなった時、予め防災対応の知識は、自らの命や家族、隣人の手助けになる筈なので、改めてご自宅やご職場の災害への備え、緊急時対応のご確認をお願いいたします。

添付した画像は、2011年3月11日東日本大震災から一か月後の4月11日保育所復興支援のため、東松島市災害対策本部を訪問し、当時の阿部市長と打ち合わせしたものです。

東北地方や能登地方の復興もまだまだ終わっていないことを考えると胸が痛みます。


2024年8月31日土曜日

8月31日の出来事

 土谷沢分校は、明治18年4月開校、昭和56年3月閉校になった土谷沢分校の姿がなくなりました。(解体費用約1306万円)。

 

当時の青倉村はまだ大桑原村、風口村、宮室村は含まれず、また下郷村は南牧村で、昭和31年に下仁田町に編入合併された。

明治期のこの頃の前身は、群馬県は所属が熊谷県に再変更される

明治6年下仁田学校下仁田龍栖寺に開校

明治6年馬山西学校石淵山田宅に開校

明治6年馬山東学校馬山栄命寺に開校

明治7年本宿学校本宿長楽寺に開校。

明治7年青倉学校青倉明照院に開校。

明治7年大平学校大平永寿寺に開校。

明治8年西牧南学校市野萱の民家で開校。

明治9年小坂学校下小坂常光寺に開校

上小坂学校広河原福泉寺に開校

所属が再び群馬県へと変わる

明治18年学区改正により、下仁田・吉崎・栗山・川井・青倉・風口・宮室 町6村で北甘楽郡第 11 小学校を設立。この時に土谷沢に第1分校を栗山に第2分校を置く。

私が通った分校は、青倉村から下仁田町に統合された翌年昭和31年入学で、その時は1年生から6年生まで100人近く人いました。

蛇足ですが、土谷沢区には集会所(町の補助金)は無く分校に赴任する先生用の教員住宅を村御用金で建てた。それをのちに昭和52年に町の補助金50万円をいただき改築し「公会堂」として今日まで使用しています。


なお、今日本県出身の参議院議員中曽根弘文氏が自由民主党総裁選の高市早苗氏の選対本部長になる報道がありました。自由民主党議員なら「党是」は、もちろん「自主憲法制定」、それに皇室継承(父系一系)、教育の充実。夫婦別姓には消極的など。岩盤保守で「高市早苗一択」だな








2024年8月30日金曜日

自民・稲田氏ら「女性活躍」を総裁選のテーマに 提言をとりまとめ

 どうせ求めるならなぜ男女比をイーブンになることを求めないのだろう?


私はクオーター制には賛成しません。今の法制度では男女平等なのでこれ以上恣意的に押し付けられたような人選、制度では無く、やはり男性社会に問題意識があるならそれをぶち破る意思のないものは所詮形だけのものになるでしょう。
政治には自らの意思は大事。学歴や職歴の能力というよりは「この国の民を、あるいは住民を幸せにしよう」という意志のある無しの問題。
だと思うが…生意気で済みません(汗)
(FBでは政治ネタは無視されやすですが、承知で書きました)

2024年7月20日土曜日

上信電鉄歴史展

 今日3箇所目のイベントにお邪魔させていただきました。

上信電鉄歴史展が元西牧小学校跡にある女性村ねぎぼうずにて開催。大変多くの訪問者で賑わっていました。












 


下仁田町青少年健全育成大会

 午前10時より文化ホールにて第六回下仁田町青少年健全育成大会がありました。



ジオの日清掃活動

 毎月20日は、下仁田ジオパークの日。今日は

跡倉滑り面を中心に自然史館周りの清掃。高校生の
ボランティア活動参加者も加わりいつもより大勢の清掃活動となりました♪
今では高校の内申書に大きな影響があるようになったボランテア体験。





2024年7月19日金曜日

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