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2013年2月26日火曜日

『下仁田ジオ・歴史遺産応援団』学習会

第7回『下仁田ジオ・歴史遺産応援団』学習会
荒船風穴について(基礎情報共有学習会)
(聞きながらベタ打ちにて書込みしましたので、正確ではない部分もあります)
[第一部]
基礎情報を共有することが大事。
正式名称は「国指定 荒船・東屋風穴蚕種貯蔵所」
官報告示 平成22年2月22日
町有地(バファーゾーン)を含めて面積は約4,648a
指定基準は、特別史跡名勝天然記念物及び史跡名勝天然記念物指定基準の史跡の部6による。
[説明]
明治から昭和にかけて、天然の冷風を利用して蚕種を貯蔵した施設。荒船風穴は全国一の収納を誇り、その取引先は全国に及んだ。
東屋風穴は地域単位の風穴として全国有数の規模である。ともに近代の養蚕業を知る上で貴重である。

国宝>重要文化財
文化財保護法関連業務にもとづき
保存計画策定
整備基本構想など
ほかに景観法、森林法などの様々な規制がある

風穴の時代背景
輸出の30~40%繭と生糸で稼いだ。
明治30年年代には3回~4回収穫できた。
碓氷社、甘楽社、下仁田社で4000t,3000t,2500t と抜群の生産量だった。
春秋館、高山社、風穴は一体。

風穴の始まりは、長野県が早かった。
荒船風穴は規模が大きく、蚕種の発展に貢献した。
以上のふるさとセンター職員 高橋氏説明

[第二部]
「荒船風穴蚕種貯蔵所跡」近年の事業と調査成果
平成22年2月22日に東屋風穴とともに国指定史跡となった。
その翌月に1号風穴南面が崩落した。
平成23年に環境保全工事と1.2.3号の底面埋蔵文化調査と1号風穴復旧設計・3次元測量を行いました。

風穴の底面の状況は、1.2号では概ね巨大な岩魂を割り、平坦面を造り出している。岩魂と岩魂の間には、中小の割石を詰め込んでいますが、すべてを塞ぐことはせずに下部から吹き出せるように隙間を確保しており、調査中でも下部から冷気を感じることができた。

岩陰遺跡
番舎跡から土器が見つかった(5000年前位)
文様の特徴や遺跡の位置から焼町式土器と考えられる。

1号風穴復旧設計
復旧設計をしたところ、石積みの一部を解体する必要があることがわかった。解体箇所を平成25年度に調査することになりました。
以上 ふるさとセンター猪野係長より説明

秋池館長より補足説明
冷気を取り込んだ方法は4通りあった。
裏側の岩魂に合わせて取りれた。
こうした方法は国内で事例が見当たらない。

[感想]
参加者皆さんは非常に熱心で、かつ造詣も深い方ばかりで圧倒され続けています。
でも、ジオガイドは誰でも出来る「まちおこし、地域おこし」の絶好のチャンスです。
下仁田町は、富岡製糸場絹遺産群の「荒船風穴」と、ジオパーク世界認定を目指すという世界でも「下仁田だけ」という特異な地域です。
目指すのは、過疎を食い止め、地域住民の生活環境を守り、教育や環境豊かなまちづくりを進めることです。
事実、この部門を担当している役場職員のスキルは素晴らしいです。
自ら進んで取り組む姿勢は、町全体に波及することでしょう。

おりしも、当町ではテレビドラマロケも行われているようです。
こうした機会も大事ですが、同時に息長い取組みにも「町民参加」をお願いしたい。

2013年2月23日土曜日

2013年2月23日(土)『はねこし峡・ポットホール』 現地観察会がありました。竜宮城への入口?という設営を夢見て調査をしているようです。午後もありましたが、私は他に所用があり最後まで確認できませんでした。ポットホールのあるところまで削られるのに5,000年、深さ2mの穴をあけるのに1,000年、今の河床まで削られるのに約4,000年といいわれています。ここの岩石は「神農原礫岩」です。

2013年2月10日日曜日

信濃毎日新聞に掲載された記事より

信濃毎日新聞1月24日夕刊に紹介された下仁田ジオパークと富岡製糸場世界遺産群「荒船風穴」の記事大きく見開き半紙で取り上げていただきました。
もともと、荒船風穴と信州地方とりわけ佐久市とは隣り合わせで、経済的結びつきは密接な繋がりがあったようです。(信濃毎日新聞は中小坂 永井昭正氏よりご提供)