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2012年12月23日日曜日

四つ又山探訪記(関東山地研究会 保科グループ)





四つ又山探訪記(保科グループ研究会)
四つ又山閃緑岩の謎(2012/12/23)

ー跡倉層の不整合基盤か?ー

保科裕・関東山地研究グループ
@保科さん曰く「四つ又山閃緑岩が解明できればクリッペ解明に繋がる重要な鍵を握っている」
現地調査に同行させていただきました。(参加者15名)

跡倉層の川井山石英閃緑岩は約2億5千万年前に形成された。
これらに+ホルンフェルス(風口層)
四つ又山閃緑岩は、岩石的にはカリ長石がほとんどないトーナライト。川井山閃緑岩とと四つ又山閃緑岩とをつなぐ閃緑岩を発見か。

「中央構造線を境に非常に入り組んだ地質構造になっている。」

下仁田ナップ構成
跡倉ナップ(日本列島では中央構造線沿いの跡倉ナップが有名。
    跡倉層の不整合基盤➡ホルンフェルスおよび川井山閃緑岩
四つ又山のナップ
    跡倉層の不整合基盤➡四つ又山閃緑岩(+石灰岩)?
川井山閃緑岩とホルンフェルス    四つ又山閃緑岩と石灰岩
   何故石灰岩が入り込んでいるのか?
・四つ又山閃緑岩と川井山閃緑岩は同じ?

今回は、南牧村より登りました。
四つ又山への登山道が通行不能なので整備が急がれる。
アップロードは ( t・i )

2012年12月19日水曜日


http://www.shimonita-geopark.jp/下仁田ジオパーク
下仁田ジオ.歴史遺産応援団
(ベタ打ちにて書込み)
室戸ジオパークでの報告
下仁田ネギ祭りで展示ブース 300人訪れる。
下仁田町の地形の出来方
  • 多様な地形を持つ
  • 山間地の中流部で連続する渓谷
  • 不通渓谷 はねこし渓谷
  •  橋の無い時代は、梅沢峠・小坂坂峠を利用していた。
  • 鏑川は様々な地層の上を通る

秋池館長(ふるさとセンター)
題目:下仁田町近世~近世の主要交通路の推移
  • 産物を運ぶ交通路として小阪坂峠や梅沢峠が便利だった。
  • 江戸時代は、鉢植えの様な支配体制だったが、横の繋がりは悪るかった。藩以外に出ようとすると大変だった。
  • 明治政府は出入りが自由になった。関所の廃止、廃藩置県になった。自由な通行が可能になった。
  • 明治4年に廃藩置県と[橋梁を建設せよ]となった。
  • 江戸幕府では橋も作れなかったが、明治政府になり橋も架けられる様になった。
  • 明治15年に比佐理橋、神戸橋、石渕橋など木製の橋が架けられた。  
  • 比佐理橋は明治15年に木橋をつくったが、明治27年流出、翌年再架橋、明治38年吊り橋、平成3年現況となった。
  • 石渕橋は、今より下流側で明治15年にかかった。
  • 神戸橋は昭和5年開通した。
  • 明治30年には上野鉄道が開通した。
  • 馬山を鉄道が通らなかった理由は、諸説(汽車の煙の害を心配したとか)あるが、鏑川に橋を架けられる程の資金力が無かったのではないか?一番現実的。
  • 地形と人の生活は密接につながっている。
  • 杉田栗末はトンネルのスペシャリスト
ある参加者は、これらの話を聞いて、中央構造線とこの特異な地形の結びつきについて考え不可思議な場所だなと思ったと言う感想を述べました。

2012年12月9日日曜日

農業祭&ネギ祭り

平成24年12月1日下仁田町農業祭&ネギ祭り会場にて。
サミットを目指す下仁田町の農業祭とネギ祭り。下仁田ジオパークや富岡製糸世界遺産伝導師の展示もあり、多くに方が訪問されました。特に会場が馬山地区ということで荒船風穴、中小坂鉄山、馬山丘陵について展示解説を行いました。