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2012年12月19日水曜日


http://www.shimonita-geopark.jp/下仁田ジオパーク
下仁田ジオ.歴史遺産応援団
(ベタ打ちにて書込み)
室戸ジオパークでの報告
下仁田ネギ祭りで展示ブース 300人訪れる。
下仁田町の地形の出来方
  • 多様な地形を持つ
  • 山間地の中流部で連続する渓谷
  • 不通渓谷 はねこし渓谷
  •  橋の無い時代は、梅沢峠・小坂坂峠を利用していた。
  • 鏑川は様々な地層の上を通る

秋池館長(ふるさとセンター)
題目:下仁田町近世~近世の主要交通路の推移
  • 産物を運ぶ交通路として小阪坂峠や梅沢峠が便利だった。
  • 江戸時代は、鉢植えの様な支配体制だったが、横の繋がりは悪るかった。藩以外に出ようとすると大変だった。
  • 明治政府は出入りが自由になった。関所の廃止、廃藩置県になった。自由な通行が可能になった。
  • 明治4年に廃藩置県と[橋梁を建設せよ]となった。
  • 江戸幕府では橋も作れなかったが、明治政府になり橋も架けられる様になった。
  • 明治15年に比佐理橋、神戸橋、石渕橋など木製の橋が架けられた。  
  • 比佐理橋は明治15年に木橋をつくったが、明治27年流出、翌年再架橋、明治38年吊り橋、平成3年現況となった。
  • 石渕橋は、今より下流側で明治15年にかかった。
  • 神戸橋は昭和5年開通した。
  • 明治30年には上野鉄道が開通した。
  • 馬山を鉄道が通らなかった理由は、諸説(汽車の煙の害を心配したとか)あるが、鏑川に橋を架けられる程の資金力が無かったのではないか?一番現実的。
  • 地形と人の生活は密接につながっている。
  • 杉田栗末はトンネルのスペシャリスト
ある参加者は、これらの話を聞いて、中央構造線とこの特異な地形の結びつきについて考え不可思議な場所だなと思ったと言う感想を述べました。

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