http://www.shimonita-geopark.jp/下仁田ジオパーク
下仁田ジオ.歴史遺産応援団
(ベタ打ちにて書込み)
室戸ジオパークでの報告
下仁田ネギ祭りで展示ブース 300人訪れる。
下仁田町の地形の出来方
- 多様な地形を持つ
- 山間地の中流部で連続する渓谷
- 不通渓谷 はねこし渓谷
- 橋の無い時代は、梅沢峠・小坂坂峠を利用していた。
- 鏑川は様々な地層の上を通る
秋池館長(ふるさとセンター)
題目:下仁田町近世~近世の主要交通路の推移
- 産物を運ぶ交通路として小阪坂峠や梅沢峠が便利だった。
- 江戸時代は、鉢植えの様な支配体制だったが、横の繋がりは悪るかった。藩以外に出ようとすると大変だった。
- 明治政府は出入りが自由になった。関所の廃止、廃藩置県になった。自由な通行が可能になった。
- 明治4年に廃藩置県と[橋梁を建設せよ]となった。
- 江戸幕府では橋も作れなかったが、明治政府になり橋も架けられる様になった。
- 明治15年に比佐理橋、神戸橋、石渕橋など木製の橋が架けられた。
- 比佐理橋は明治15年に木橋をつくったが、明治27年流出、翌年再架橋、明治38年吊り橋、平成3年現況となった。
- 石渕橋は、今より下流側で明治15年にかかった。
- 神戸橋は昭和5年開通した。
- 明治30年には上野鉄道が開通した。
- 馬山を鉄道が通らなかった理由は、諸説(汽車の煙の害を心配したとか)あるが、鏑川に橋を架けられる程の資金力が無かったのではないか?一番現実的。
- 地形と人の生活は密接につながっている。
- 杉田栗末はトンネルのスペシャリスト
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